錦帯橋
岩国のシンボル 錦帯橋
本家森本屋・外観
本家森本屋 外観

岩国の文化交流 レンタルスペース

本家森本屋

慶応三年(江戸末期)築の町屋を、時間単位〜お貸ししております。江戸時代の雰囲気と、岩国の歴史が感じられる空間で、日常をはなれて、いつもと違うひと時をお楽しみください。

本家森本屋・室内

本家森本屋について

伝統を受継ぐ“眺め”への思い
——岩国城下町の佇まいを次の150年へ

子供の頃から、当たり前のように過ごしていた実家の素朴な空間が、尊敬するアレックス・カー氏のコンセプトである『壊してはいけない“眺め”がある』と重なるようになり、父から受け継いだ家を再生し次へつなぐ選択をしました。

座敷・雪見障子
奥座敷。雪見障子から枯山水の中庭を望む

本家森本屋の歴史

岩国市川西にある当家の初代は森本屋孫右衛門といい、お寺の過去帳にルーツを辿ると、孫右衛門の母が享保20年(1716年)9月に亡くなっていることが分かりました。本家森本屋は当時より現在へ続いております。

森本屋は米問屋、味噌・醤油・酒醸造、紙漉き、鮎・川蟹問屋などの商いを生業としてきました。私は孫右衛門から数えて15代目になります。

玄関内部
伝統的な漆喰の白壁と弁柄の黒が織りなす空間

江戸末期の建築を、5年かけて再生

慶応三年築の建物を遺すため、大工さんは江戸後期の建築を研究し、木材集めから一貫して行い、再生して下さいました。例えば柱は、大型機械の無かった江戸時代の仕事にならい、不均一なもの同士をバランスをとって美しく組み合わせています。日本文化が感じられる町屋の空間をぜひお楽しみ下さい。

本家森本屋のある
「川西」のおはなし

川西の産業と
街の成り立ち

むかし、大内義弘が横山や川西の土地を永興寺に寄進し(1386年)横山から川西にかけて広大な永興寺が出来ました。この永興寺は仏法の伝導だけでなく大内氏が東上したり西下したりするときの宿舎になり、また尼子や毛利ににらみをきかす屯所(兵営)にもなりました。当時川西は一寒村で人口はすくなく、産業は農業が中心で米作りや畑作りなどで自給自足の生活をしていました。

吉川(きっかわ)氏が岩国に入国したのが1602年、地区割が行はれ、城下町の形態ができてきました。家中、町方、地方に地区割され、家中は藩に出仕し(ろく)により、町方は商工業により(職人として)、地方は農作業によりそれぞれの生計をたてていました。

川西の農業に
ついての考察

(1) 生産量の推移

岩国藩としては、土地の改良や開拓により農産物の生産量は増し石数が上がってきました。しかし川西の耕地がかぎられ、また拡張する余地がすくなく、別表のように微増したのにすぎませんでした。

慶安四年(1651年)281.569石 寛文十二年(1672年)284.011石
宝永一年(1704年)294.827石 享保九年(1724年)291.114石
安永二年(1773年)307.975石 文化三年(1806年)308.469石
天保七年(1836年)309.086石 慶応三年(1867年)309.282石

慶安四年281.569石のうち、当時の資料から田の方が7割、畑の方が3割と推定できます。従って川西は水田農業が主で畑では麦、栗等が作られまた、野菜を作り城下の需要に当てていました。尚この中に(こうぞ)高2石3斗があります。これは楮を米に換算すれば、米2石3斗に当たるということです。他の作物も米に換算して石数で表しました。(かりに1石は10斗、米1俵は4斗ですから米俵にすれば2俵半という事です)

(2) いろいろな作物

農産物は時の流れにより需要品目が変化し、それに応ずるためにいろいろな作物が作られました。棉花、養蚕、楮、(はぜ)、茶、椿油などです。棉花は栽培だけでなく、農家や武家の副業として、製糸や製綿まで行はれました。(昭和30年まで菊元さんの織物工場が川西一丁目にありました)また養蚕や楮なども現金収入を得る貴重な産業でした。川西のところどころで桑の木の古株をみて養蚕の行われていた往時を偲ぶことが出来ます。茶や椿油は自家用として生産し、わずかなものです。

木材については一定の(おきて)があり、それに従って植林し家屋の用材にし、また雑木や間伐材は日常の用具に用いたり薪にして燃料にしました。

(3) 櫨の栽培と(ろう)の製造(川西の板場)

昔川西にとって関係の深い産業でした。岩国藩では櫨の実を栽培し実を売ったり、またこれを使って製蝋をはじめました。蝋の製造所を板場といいました。寛政年間(1800年頃)藩は川西の土手沿いの道を降りた4つ角(川西一丁目13番地)辺りにこの板場を設け藩内のすべての櫨の実を集めて加工し、製品を大阪に運送して売りさばきました。藩は現金収入の手段としてこの事業を奨励し、拡張してきました。川西はこの事業に関係していました。

昔の人々は生計を維持し少しでも豊かな生活をする事を求めてあらゆる工夫をし、努力して今日に至りました。

執筆・森本育夫 参考文献・岩国市史上巻P399〜P474
岩国市地域福祉情報ネットワークに向けた記事

邸内紹介

海外に出かけて初めて日本の良さがわかります。地方を離れて初めて地方の良さがわかります。
現実からちょっと離れ、古い町屋の異空間に少しでもふれていただけたら嬉しく思います。

イベント会場として

  • 新商品発表会、商品展示会
  • 写真撮影

ミーティング、会食の場として

  • 会議・研修会、セミナー、合宿
  • 会合・会食・食事会

教室・サロン会場として

  • 岩国の歴史を学ぶ
  • 茶道、華道、囲碁、俳句、書道、写経
  • 絵画、歌唱、ピアノ、ヨガ、料理、編物、裁縫、着付け、英会話等

玄関へ広い開口
町屋の広間

写真:広間

奥側座敷

写真:奥座敷

枯山水の中庭

写真:枯山水の中庭

最奧まで通じる
特徴的な土間

写真:町屋の特徴・土間

シェフ仕様の
本格キッチン

写真:キッチン

キッチンには、業務用仕様の火力の強いガスコンロが1口、卓上コンロのガスバーナー2口、IHが2口、冷凍・冷蔵庫もコールドテーブルです。

レンタル料・平面図

ミーティング・会食でのドリンクやお弁当のお持込や手配も可能です。お申し込み時にご相談ください。

ご利用
基本料金
(6名)
時間利用 3,300円/時間
半日利用
13:00までの部 / 14:00からの部
13,200円
1日利用 19,800円
※なお上記ご利用料金は利用目的・用途、人数等により調整いたします。
設備等 収容人数 最大30名程度
(用途によります、ご相談ください)
什器 8人掛けテーブル、10人掛けテーブル
キッチン 業務用仕様の火力の強いガスコンロが1口、卓上コンロのガスバーナー2口、IHが2口、冷凍・冷蔵庫付きコールドテーブル
1階平面図

岩国探遊

岩国の名所・風物のご紹介

岩国市は、山口県の東端に位置し、瀬戸内海に面しています。広島からも近く、観光の楽しみも多い場所です。

岩国市街は、江戸時代に岩国領の城下町として発展しました。錦川にかかる錦帯橋や町屋などが当時のおもかげを残しています。

沿岸部は近代より湾口工業地帯として注目され、西日本では最初に鉄道が走るなど、最先端の発展を重ねました。

作家・宇野千代が生まれ育った場所としても有名で、生家が保存されており一般公開されています。

宇野千代の墓/上段・右下は宇野千代の生家

アクセス・ご予約

アクセス

所在地 〒741-0082 山口県岩国市川西1-19-27

  • 〈お車〉岩国錦帯橋空港より20分
  • 〈お車〉新岩国駅より15分
  • 〈徒歩〉岩国市営川西バス停より1分
  • 〈徒歩〉岩徳線・岩日線川西駅より3分

ご予約・お問い合わせ

ご利用予定日の1週間前までにご予約いただきますとスムーズです。

メールでご連絡の際には、お名前(団体名)、住居地域、ご連絡先電話番号、利用期間のご希望についてご明記ください。